断絶|ジュンひよ

 失敗した、どうしよう、と思った。
 晴れて玲明学園高等部に入学できた僕は、必ず入らなければならない部活として華道部を検討していた。
 というのもわかりやすく中学で華道部で、ただたまにメンバーで集まってお菓子とお茶を嗜むお気楽な部活だったからだ。
 玲明学園はアイドル養成所でもある。当然部活よりも芸能活動が優先される。だからといって部活を何もやらないアイドルとしてのレッスンばかりではパーソナルな部分が壊死してしまう。つまりは自己紹介で言える趣味もしくは特技程度には嗜んでおけという名目で、何かしらの部活への入部が義務となっているのだ。
 そんななか僕はアイドルがしたくて玲明学園に入学しているのに部活に精を出すのは馬鹿馬鹿しいと考えていて、中学と同じく適当に最低限の時間を潰せる華道部で過ごし、部活を聞かれたときは華道部に入っているけど花を生けたコトは一度もありませんと言って笑いをとることでやり過ごすつもりだった。
 ──この入部体験で、巴日和に出会うまでは。
 最近学園内でEveと言うユニットを結成したと聞いているが、まだ表立った活動はしておらず、僕は彼についてfineでの姿しか知らない。そしてその姿から持っていた印象通りの威厳と静謐さを持って、正座している彼と僕の間には、それこそテレビ画面のような世界の隔たりがあるように感じた。
 部屋の入り口で立ち尽くしている僕にはいっこうに気づく気配もない。目の前にある茶筅を手に取り茶碗──それにはすでに抹茶が入っているらしい──慣れた手つきで立てている。息をするのを許されない厳かな雰囲気。ごくりと唾を飲むと、薄紫色の視線がちらりとこちらを見た。
 巴日和は無駄な所作なく立ち上がり、僕のもとへ歩いてきた。僕は目線を一ミリを動かせないまま、そのようすをじっと見ていた。
「こんにちは」
 瑞々しい声が落ちる。僕は声が出せないでいた。一言でも言うべき言葉を間違えたら呆れられてしまう。それがとてつもなく怖いと思った。
「体験入部?」
「は、はい」
「ふうん? そんな風には見えなかったけど」
「……や、軽く、見にきたと言うか、」
「そうなの?」
 凛とした声はそう疑問を投げたあと、どうでも良さそうに踵を返した。
「ただ適当に時間を潰せればいいなんて、そんな気持ちで来ているのなら帰ってもらいたいね。それこそ時間の無駄だし」
 図星だった。初対面であるはずの僕の挙動不審っぷりで、すぐに彼は察してたらしい。怖しい洞察力に、わかりやすくびくりと肩が震えた。
「……は、はい。失礼しました」
 そそくさと戸を閉めて廊下を駆ける。容姿端麗な人間の静かな怒りは単純に罵声を浴びせられるような怒りとはまた違って、雷でも浴びたかのように今も感情のない瞳と声が脳内で響き、麻痺したかのようにうまく動けない。
 ……あんな冷徹そうな人間と、ユニットをうまくやっていけるやつなんているのだろうか?
 疑問に思いながら、廊下をとぼとぼと歩く。リノリウムの床が、窓から差し込む夕日でオレンジ色を乱反射していた。
 結局、僕は華道部に入った。理由は簡単だ。部員が少なすぎてこのままでは廃部になりかねないからと、巴先輩が僕をクラスまで恐喝……もとい、勧誘にきたからだった。正直、今になって勧誘されたことよりも、顔だけで僕のクラスと名前を判別できたことに心底驚いてしまい「このままじゃ廃部になっちゃうからね」「問題ないね?」と質問責めされる勢いに押され、こくこくと頷いてしまっていた。
 実際入部してみたら、思ったより──というかほとんどストレスはなかった。僕と同じようにたまにきて素人がお茶を点ててお喋りするのが目当てだった人間が他にも数人おり、巴先輩はそんな僕たちを放置してくれた。いや、菓子代は部費として申請するように命令して来たから、放置というよりは尊重だったのだろう。
 巴先輩はその代わりに、自分だけが部活に来る曜日をいつの間にか作成していた。
 水曜日。その日は巴先輩以外の誰もが部室に入ることを許されない。いわば治外法権であり、巴先輩を美しいとしょっちゅう見惚れている僕からしてみれば、聖域とも呼べる時間と場所だった。
 そして、とある水曜日。
 その日は前日に寮に持ち帰るはずだった体操着を部室に忘れてしまって、次の日に体育の授業が入っていた。前日の夜に気付いてからずっと悩んでいた僕は悩みに悩んで、結局、部室を訪問することにした。
 ……そもそも僕も部員なのだから水曜日に部室に来ちゃいけない理由なんてないだろう、と考えすぎて自分に都合の良い思考回路に染まってしまっていた僕は忘れいていた。巴先輩が「普段きみたちの好きにさせてるんだから、水曜日はぼくだけの場所にさせてもらうね」と注意していたのを。
 廊下を歩く。アイドルに重きを置いたこの学園では、入部は義務だがあくまでアイドル活動優先での話だ。教室と部室が主となるこの棟は放課後になると一気に人の気配がなくなる。だいたいがレッスン室のある棟に行くか、仕事に赴くからだ。
 だからその時も廊下には僕ひとりしかいなかった。
 ……部室の前で、巴先輩と──漣ジュンを見かけるまでは。
 階段を上り部室まで一本道となる曲がり角を曲がったところで、僕は足を止めて、なぜか曲がり角の壁に隠れてしまった。少し先に巴先輩と漣ジュン──世間ではEveと呼ばれているふたりが歩きながら話していたからだ。漣ジュンはテニスウェアを着ていて、聞こえてくる会話曰く、放課後にテニス部に向かっていたところを旧に巴先輩に呼び出されたらしかった。
「いきなり呼び出してなんなんすか? 姿勢を直すレッスンをする……ってのはわかるんすけど、使わせてもらっていいんですかねぇ〜?」
「水曜日はぼくだけが花を生ける時間にしているから、何も問題ないね! えへん」
「ただの独裁を自慢げに話すのやめてもらっていいですかねぇ〜」
 前々から思っていたが、直に聞いて確信に変わった。僕が入部しようとしたあの日から、まだ季節が春から秋になったぐらいなのに、巴先輩はずいぶんと変わった。前の近寄りがたい厳かで静謐な雰囲気は、今はわがままでかわいらしいそれに様変わりしている。王族が庶民になったかのような。
 無性にイライラするのは、間違いなくそうしてしまった本人が全く気付いていないようだからだ。
「……うわ、中真っ暗じゃないっすか」
「窓ないからね。外の景色も風情がなくて集中力途切れちゃうし。それに、」
「?」
「ここなら何してても誰からも見えないね」
 ゾワリと全身が粟立つ。甘くて蠱惑的な声。それが何を意味するのか一瞬で理解せざるを得ないものだった。
「おひいさん……」
 テレビで聞いたことのある爽やかな声が一変している。そして何も聞こえなくなった。扉を閉める音は聞こえてこないから、まだふたりとも部屋には入っていないはずだ。
 ……何をしているのだろう。ばくばくと飛び出しそうなほど心臓が鳴っている。急に黙って、どうしたのだろう。好奇心と恐怖心が絵の具みたいにぐちゃぐちゃに混ざって、どうにかなってしまいそうだった。見たいし、逃げ出したい。そんな二律背反の気持ちが戦って戦って戦って──僕は気がついたら一歩乗り出して部室へと一本道となる廊下に乗り出していた。
 見えたのはテニスウェアを着た──どうやら漣ジュンだけだった。部室と廊下の狭間に立っている横顔は、眉を顰めて、瞳をうっすらと開いている。
 それが捕食者の目をしていたのと、微かに聞こえた巴先輩の「……っん、ぅ」というくぐもった声で、さすがに経験のない僕でも何をしているか理解できた。
「おひいさん……!」
 世間を騒がすEden、その片割れであるEve。元fineの巴先輩に見出されたシンデレラボーイとも言える彼は熱に浮かされた声で巴先輩の名を呼んだ。満足そうに口元を釣り上げた巴先輩の微笑んだ息が僕の耳にも届いた。そのまま漣ジュンは部室へと入っていった。正確には巴先輩を押し倒したのだろう。
 がらがらと。
 勢いよく閉まった扉の音は、間違いなく彼らふたりと僕の世界を断絶するためのものだった。

walatte

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