甘々と我儘|ジュンひよ
今日は茨が手配したスーツでの撮影だった。
事前にValkyrieに念密に採寸され作成されたスーツは、普段から着る機会があり造詣が深い日和でさえも試着した際に絶賛していた。
撮影は学生のスケジュールを配慮して夕方からとなっていたが五限目が外部からきてくれている講師によるレッスンで思いの外長引いてしまい、急遽タクシーを呼んで向かっているものの、着くのはぎりぎりの時間になりそうだ。
ユニットを組んでから、日和が衣装を着るのはスタイリストに最後調整してもらうまでジュンが手伝うのが暗黙の了解となっていた。命令されていううちにすっかり習慣となってしまっていたのだ。
当初、EveやEdenとしての華々しい衣装に慣れていなかったジュンは、着付けをしながら日和の説明をよく受けた。この衣装は伸縮性がなくてあまり動けないからあらかじめ動いて可動域を確かめておくように、とか、あの衣装は裾が長いから綺麗に翻るようにターンをしなさい、だとか、色々だ。
だから自分がいないと日和は着替えられないだろう半ば決めつけていたのに、いざ楽屋に着いてみればそこにはスーツを問題なく着ている日和がいた。
「……おはようございます、おひいさん」
「わぁジュンくん辛気臭い顔してるね! おはよう! 早く着替えないと撮影始まっちゃうねっ」
「え……ああ、はい」
隣にいる凪砂をスマートフォンで楽しそうに撮影している日和をよそに、ハンガーラックにかけられた自分の衣装を手にとり、着替えていく。
もやもやとした疑問は消えないまま、むしろ膨らんでいくばかりで、破裂しそうだった。だけどこんな勝手な感情をぶつけるのも表に出すのも嫌で、考えているあいだにあとはジャケットを着るだけとなった。
コンコン、とノック音がしたあと「失礼します」とすでに衣装を着た茨が入ってきた。スタッフとの最後の打ち合わせが終わったらしい。
「ジュン、遠方の玲明学園よりお疲れ様です。敬礼〜! 着替え、終わってるみたいなのでスタイリストさんに呼んできますね」
「ありがとうございます茨。……あの、」
「なんです?」
「おひいさんって、ひとりで着替えできてました?」
「ええ、滞りなく。むしろ閣下を手伝ったりもしてしましたが」
「……そう、っすか」
語気の弱い返事に、茨は「でないとこの業界でやっていけません。普通のことですよ。……まぁ、我々は普通じゃないかも知れないメンバーの集まりですが」と眼鏡の位置を直しながら言う。茨なりに気を遣ってくれているのだろう。あからさまに、弱々しい声を出してしまった。
さすがになにも気づかないほど、自分も鈍くはない。
新しい寮での生活が順調そうなこと、学生である自分より仕事の多い日和について流れてくる現場での評判。それになにより同居した一年間でそんな気配は十分すぎるぐらい垣間見えていた。
「終わった?」
スタイリストの女性とジュンだけを楽屋に残して撮影スタジオに向かっていたはずだったが、なぜか日和だけちょうどメイクが終わったところに顔を出してきた。そそくさとお疲れ様ですと挨拶して、スタイリストは部屋から出て行った。
鏡の前に座るジュンの横に、日和も座った。
「……あんた、自分でできますよね。意外と、色々と」
ちょっと刺々しい口調になってしまった。余裕のなさが浮き彫りになっているようで恥ずかしくなる。けれど日和はなにも気付いていないのかきょとんとして、それから満面の笑みで笑った。
「アイドルとして必要なことは当然、ね。でも貴族として、尽くしてもらう方が性に合っているからね。それに、してもらう相手はきちんと選んでいるね!」
「……知ってますよ」
茨が教えてくれた──スタイリストが手伝いを申し出たけれどジュンくんがいないから自分でやると断っていたということ。
「撮影終わったら、また着替えるのはオレが手伝いますんで。あんた効率悪そうだし」
「そんなことないね、失礼だね! ……でもこの色、ふだんぼくが着ない色だから貴重で、お気に入りでね? 素敵なものを作ってもらったね……」
藍色の──商品名としては空色と言うらしい──スーツは、日和にしては珍しい色合いだった。他のユニットと共通して着るため、どのユニットでも問題なく汎用性の高い色が選ばれたのだろう。
「買い取ることにしたから、ジュンくん寮のぼくの部屋まで運んでね」
「あぁ? それぐらい自分ででき──……いや、判りましたよ。あんたのどうしようもないワガママに付き合ってあげます」
「うんうんっ。相変わらずの嫌味が出てきてるね! 撮影もいつも通り──ううん、それ以上のコンディションでお願いするね!」
元気よく立ち上がった日和は、ほら行こうと手を差し出してくる。自然と笑みが浮かんでいる自分の表情には気づかないまま──日和は気づいていたのだけれど──ジュンは彼の手を取った。
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