Edible you|ジュンひよ

 華道の先生に昔言われた言葉が強く記憶に残っている。
「日和さんの描かれる花は、普段の日和さんとは違うんやねぇ」
 今の自分をそのまま指摘されたようでどきりとしたのを覚えている。
「もっと華やかなのを想像してましたわ。静謐で、山頂の霧のような美しさやね。薔薇に刺、クラゲに毒。見た目によらんっちゅうことやろか」
 なんと返したのか、珍しく覚えていない。
 その先生とはそれきりになった。お姫さまらしく我が儘で、変えて欲しいと騒いで強請ったのだ。
 ちょうどまだ始めたばかりだったので、親も何の疑問もなく、次は違う流派の女性が先生として現れた。それはとても呆気なくて、自ら望んだくせにショックを受けている自分がいて。
 知りたくない、知ってほしい。
 こんな正反対の気持ちが共存することがあるのだと初めて知った出来事だった。

 嵐から薦められてジュンと訪れたカフェで出てきたランチプレートに乗っていた食用の花に、ジュンは難色を示していた。エディブルフラワーだよと教えると「エディ……?」と首を傾げるのでもう一度、その言葉を口にする。
 エディブルフラワー。食べられる花のこと。英語で単純に食べられる、のエディブルと花のフラワーを合わせた単語だ。日和はよく口にしているが、ジュンの食生活だとお目にかからないものらしい。
「アリッサム、ナデシコ、ホウセンカ……。有名な花も多いね」
「そのへんならあんたに花屋に連れてかれるんで覚えました。これは……サイネリアっすか?」
 桃の色も混じった菫色の花だ。花弁がプレートに綺麗に揃えて並べられている。
「正解」
「これどんな味でした?」
「ぼくもサイネリアは食べたことないね。ほら、食べてみて!」
「ええ〜……」
 ジュンの頼んだロコモコ風のプレートには入っているが、日和の日替わりキッシュ入りのプレートにサイネリアは入っていない。
 初めてで、しかもそれまで食べるものだと認識していなかったのを口に運ぶのは少なからず躊躇するだろう。ジュンの顔はすっかり強張っている。
「残すのは気が引けますんで」
 そう言って豪快にフォークに刺したサイネリアを口に運んだ。数回噛んで思い切り眉を顰めて、その後一気にまた噛んで咀嚼した。とてもわかりやすい心情の変化だった。
「……なんか」
「うん」
「もっと甘いのかも思ってました。イチゴみてぇな……」
「あはは。そんな分かりやすくないね。儚い色をして、酸味の効いたのもあるし、見た目通りじゃないってことだね」
 イチゴも甘みがより強いブランドを好むジュンは、同じような味を期待していたのかも知れない。実際に見た目通り甘いものも少なくないが、中には一般的に受け入れられるような味ではないものもあるし、毒を持っているのだってある。
「見た目に反して美味しくなかったり毒があったりするのもあるね。がっかりした?」
 薔薇に刺、クラゲに毒。
 貴方の作る花はそれみたいだと言われたのをなんとなく思い出してしまった。日和の作品に対してそんな評価をしたのは後にも先にもあの女性だけだった。
「いや、別に」
「そう? 眉を思いっきり寄せてたけど」
「想定してた味と違ったんで。でも、見た目と中身が違うのは、当たり前のことでしょ。それで文句言うのは、なんか違わないですか? オレもあんたの躾のせいで見た目のわりに礼儀正しいって言われますよ。でもそんなんありふれた事象ですし」
 からんと氷の入ったお冷から音がした。軽快な音は、日和の耳に強く残った。
 それに、とジュンは続ける。
「花は綺麗だし、香りもいいから。どうなるかわかんねぇのに食べたくなるの、少しわかりますよ。まだまだ綺麗に咲いていられるのに、食っ……、食べちゃうの申し訳ないぐらい」
 なるほどね、と相槌を打って、日和はプレートにあるキッシュを口にした。嵐が絶賛していただけのことはある。これは近いうちに是非また食べに来たい。
「美味しいともっといいけどね!」
「それはまぁそうでしょ。美味いっすか、それ」
「うん、とっても!」
 ふふ、と自然と笑みが溢れる。
「ジュンくんに食べられる花は、綺麗なうちに食べてごめんねって思ってもらえるんだね。素敵だね──」
 ずっとにこにこと笑っていたら「なんなんすかあんた……」と気色悪がられたが、これはいつものことだ。気にしないし気にしていない。
 知らないうちに抱えていた重石がふっと消えたような軽々しさがある。その後もずっと、気がつけば微笑んでしまっていた。
 ロケで泊まるホテルにはさすがにアロマを炊けないので、代わりに道中で寄った花屋で買った花と花瓶をベッドサイドに飾らせた。部屋全体にはさすがに届かないが、ベッドに横になっているとふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐった。
 言葉もなく触れ合っていたらジュンの視線が横に逸れた。その先にあるのが花瓶なのはわかっていた。
「…….あれも食べられるんです?」
 その日はどんよりした天気だったので、太陽の代わりにと黄色を基調としたイメージで注文して作ってもらった。ナスタチューム、向日葵、マリーゴールド……鮮やかな花たちが花瓶に刺されている。
「そうだね。確かぜんぶ」
「へえ……」
 意外そうな声を落としながら、指でくいと白いシャツの襟口を広げ、顔を寄せた。見えるところにはしないように言いつけているから、鎖骨の少し下のところ。そこはきっちりと守りつつ、けれど痕をつけるのは辞めない。
「食べたい?」
「……あぁ?」
「あの花。ぼくとどっちを食べたい?」
「んなわかりきったこと聞かないでくださいよぉ〜。今は」
 こっち、とボタンを外しながら顔が下に動く。触れられた箇所が甘く痺れ、自然と腰が揺れる。反応を示した箇所を爪弾かれ、声が上がった。
 ホテルに着いて茎を斜めに切り花瓶に生ける。所謂水揚げをジュンは慣れた手つきで指示しなくともてきぱき行っていた。これは寮で同室だった頃に散々日和が覚えるよう命令したこたことによる賜物だ。ふたりの部屋にはいつも鮮やかな花がどこかしらに飾ってあった。
 花も人間も同じだ。花は延命するために水を食み、人間は治療を行う。それは医療だったりカウンセリングだったり様々な方法がある。
 日和の場合は、枯れないために必要だったのは愛だった。愛の交歓のために舞台に立った。人間的に欠陥している自分が、愛を与えられることでその部分を埋められる気がした。
 ジュンとの行為も、それに近いのかも知れない。愛と断言するのはまたちょっと違う気がして、喩えるなら水を与えられる花のような。枯れるのが早まらないよう、より美しく咲いていられるように、水を貰っている。そんな感じに近い。
 実際は焼き切れるような熱量を体に入れ込む行為だけれど、それでも何故か最中も事後もこころは軽くなる。不思議だ。
 口元を軽く舐められ、口をちいさく開く。侵入してくる舌の生温さにびくりと肩が震えた。ざらざらとした舌が口内を巡るのが擽ったくてきもちいい。目を瞑りながら、無性にそうしたくなって強く唾液を吸って嚥下すると余程以外だったのか蠢いていた舌は口内から出て行った。
 口を手で抑えながら、黙ったまま止まってしまったジュンの、耳が赤くなっているのを見逃すわけがなかった。
「そんなにびっくりしたの? ジュンくんってばかわいいね」
「だってあんた、普段そんなことしないでしょうが。昼からずっと機嫌いいし、よっぽどいいことあったんすね」
 何が原因か、昼から行動を共にしているジュンには十分に気付く機会はあったと思うのだが。
 鈍感なジュンだ。自覚できるようになるにはまだまだ程遠い。
「ねぇジュンくん。ぼくは美味しい?」
 ジュンは一瞬困ったような表情をした。
「オレの貧乏舌じゃ、美味しいかまでは判断難しいですけど」
 そうですね、と考えた後、続けた。
「あんたはとびきり甘いです。とろりとしてる」
「……それってまるで」
 くちびるを塞がれてしまった。それ以上は言わせてくれないらしい。
 拓かれながら、なかを暴かれながら。
 淫靡に落ちていくさながら、近いうちあの先生と会ってみようかと考えていた。
 今度は作品の感想と、ちゃんと向き合える。
 そんな確信が、胸のなかにあった。

walatte

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