yes or love|ジュンひよ
舞台裏とは思えないぐらい、そこはなぜか眩しかった。
そのせいか日和のかおがよく見える。
額に張り付いた汗、上下する肩、そしてやり切ったのだと充足した表情。長く続いたライブのアンコールが終わって、それでも鳴り止まない拍手にカーテンコールで応えようとしている。
でも、行きたくない。
「ジュンくん、」
そして、聞きたくもない。
ここから紡がれる言葉がなんなのか想像がつく。くちびるを押しつけて無理やりくちを塞ぎたいと思うぐらい。けれど周りにはスタッフがいて、ジュンにそんな強行手段がとれるはずもなく、ゆっくりと日和のくちが開いた。
嫌だ。聞きたくない。
「─────────、」
「……ジュンくん」
レッスン室には誰もいない。つい先ほど日和が先生やEveの様子を見に来ていた茨を全員追い払ったからだ。
明らかにふたりで使うには贅沢と思われる学校の教室ふたつぶんぐらいの部屋の片隅で、ジュンは正座して、じっと日和の言葉を待っていた。
正座しているのは、日和に命令されたからではない。己のなかにはっきりとした罪悪感があって、気がついたら座っていた。
今日のレッスンは悲惨だった。ストレッチの時から思うように体が動かなかった。発声練習でも声が思うように出ず声が掠れていた。歌は日和が目をつけてくれたこともあり、周りにも評価されているところだったのに。
その後のダンスレッスンでステップを思い切り踏み間違えて日和とぶつかってしまった。明らかなジュンの不調に先生には休憩を提案されたが日和が「今日はもうこれで解散にするね」と見に来ていた茨に先生を送るように言って、そしてこの部屋は元々借りていた時間まで誰も入れないよう命令して退室させた。
そして今になる。
「ジュンくん」
ここまで悲惨だったのは初めてだったから、それはそれは長時間叱咤されるのだろう。自分自身が招いたことだから自業自得で、しっかりと受け止めなければならない。ぎゅうと膝に置いていたこぶしを握りしめながらはい、と短く返事をした。
「──何かあった?」
そう、覚悟していたのに。
頭上から降ってきた言葉には、怒りどころか、むしろ心配のいろが混ざっていた。
「え……いや、別に何も」
「ふうん。そう、じゃあ聞き方を変えるね」
動揺するジュンをよそに、日和が真正面に座って手を伸ばしてくる。思わず反射で目を瞑ってしまうが、その瞬間額に冷たい手が触れた。
「熱あるでしょ、ジュンくん」
「あ……?」
そういえば朝から喉が痛かったし、頭がボーッとして視界がぐらついていた。それが単なる不調ではなくて、熱だと聞かれれば、確かに症状としては当て嵌まるかも知れない。
「茨にスタッフを呼んでくるよう頼んでおいたから、もう少し待っててね」
はっきり自覚するとますますからだが重くなった。さっきドア付近で日和と茨が話していたのはそれだったのかと今更ながらに理解する。目眩もしてきたな、と思った瞬間世界が回転して、そこで意識が途切れた。
「なんだかんだで、きみにはたくさんのものを貰っちゃってたね」
がらでもないことを言うな。いつも恩着せがましいくせに。
「きみは、もうひとりでも大丈夫。ぼくは何にも心配してないね」
オレはしてる。あんたがいなくなった後の自分がどんな存在になるのか全く想像できない。
アイドルとしても、ひとりの人間としても。
「あんた……最後だからって、ありがとうありがとうって。いつもみたいに、オレにしたい命令はないんですかねぇ」
らしくない応酬が最後じみてどうしても嫌で、せめて普段通り振る舞ってほしくて嫌味を言ってみた。それにも日和は力なく笑うばかりで、ジュンはもうどうしようもないのだと無力感に苛まれるだけだった。
「じゃあ、これは命令じゃなくて、できればのお願い、なんだけれど」
「……なんですか」
嫌な予感しかしない。つうと汗が頬を伝った。
「許してほしいね」
ジュンだけ置いて表舞台から去ることを。
望む限り一緒に歌ってやると宣言した相方を、裏切ってしまうことを。
──Eveを、解散してしまうことを。
「……ッ! ────────あ、」
「あ、起きた?」
真っ白な天井と、視界の隅に、日和。なんで、どうしてここに……と覚束ない頭で思考を巡らせて、さっきまでのが夢でこっちが現実だと理解する。意識を失うまで、医務室に行く話をしていた記憶がある。無事運んで貰えたのだろう。
「ぼくしかいないね。他に利用者もいないから、担当者には一時的に別の部屋を使ってもらってるね。きみ、丸一日寝てたんだから」
「は? 一日……?」
「結構な高熱だったけど、もう大分引いてるね! 寝るのが一番よかったみたいだね。……寝不足だった?」
数日前に見た夢を、もう二度と見たくなくてろくに寝れなかったなんて、どう説明したら伝わるのだろうか。
「……もう二度と見たくない夢があったんで」
「よっぽど嫌な夢だったんだね」
「はい」
「でも、夢は夢でしかないね。そうならないのう、きみが努力すれば、きっと夢は現実にはならないね」
「……はい」
結果、寝不足から体調を崩して二度目の夢を見てしまった。まるで夢に弄ばれているようだ。
寝ずに夢から逃げるのではなく、初めから真正面から現実はそうはさせないと立ち向かえばよかったのだ。今となってはそう思える。それに日和はきっと、許しを請うことはしないと思う。自分が自分を許していないのに、他人にそれを求めるとは思えなかった。
数日前からずっと夢を見ていて、ようやっと目が覚めた気持ちになった。靄がかかったような景色は晴れて、頭も冴えていく。
手を伸ばして日和の目元をなぞった。珍しいものがついていたから。
「……クマ」
「ん〜?」
「寝てないんすか」
「寝たよ? 隣のベッドで。でもいつものふかふかのベッドじゃないからあんまり寝心地がよくなかったね!」
本当かどうかはもうこの際どちらでもいいと思った。日和の言葉が嘘でも、大事なことを言っていないにしろ、寝不足なのには変わりないとちうのなら、ジュンのやることはひとつだった。
「じゃあ、こっち」
「なに」
「オレはもう熱引いたんで。おひいさんが寝てください」
ベッドの隅に体を移動させて、日和が入れるスペースを作る。寝心地が悪いなんて話していたので嫌がるかと思っていた日和は、意外にもあっさりとじゃあ、と言ってベッドの中に入ってきた。お互い向かうあうように横になっていると、ふわりと日和のかおりが鼻孔をくすぐった。
「ふふ、ジュンくんがいるからもうあたたかい──」
ね、っていつもの語尾をかき消すようにキスをした。日和は予見していたのか当たり前のように受け入れた。だけどちゅ、ちゅ、と何回か啄むようにやってみても日和の瞼はいっこうに降りない。ひたすら目を合わせながら繰り返すキスに、先に耐えられなくなったのはジュンだった。
「……目、閉じません?」
「きみも開けてるのに?」
「オレは起きたばっかなんでいいんすよ」
我ながら理由になってない言い訳だったが、実際に寝過ぎたぐらいなのでまた目を閉じる気にはならないのは本当だ。
「ふうん。それもそっか」
すっと日和の瞼が降りる。綺麗に生えそろった長い睫毛を眺めながら、白くてつるつるでシミひとつない綺麗な肌に見惚れながら、ジュンは何度も日和にキスを落とし、日和もそれに応えた。時折開きそうになるひとみには手で覆って開かないようにしていると、やがて日和の動きが緩慢になり、健やかな寝息が聴こえてきた。
「おやすみなさい、おひいさん」
現実はどうしようもなく厳しくて、毎日が戦いばかりだけれど。
せめて与えてばかりのあんたにはいい夢が訪れてほしいと願っている。目の前にある安らかな寝顔に、安心する。
これからもジュンは悪夢を見るかも知れないが、現実にしなければいいだけの話だ。
この繋いだぬくもりを、不要だと拒絶されない限り、手放す気は毛頭なかった。
0コメント