メリーゴーランドとキス|ジュンひよ


 そんなことで緊張が和らぐわけがないと判っていたのに。
 Eveの二回目の単独ライブ直前の楽屋である。一回目で及第点と評してもらったものの日和との力量差と実感したジュンは焦っていた。この人に追いつくのにいったい何年かかるのだろう。Edenで一緒になる年上の凪砂も圧倒的なパフォーマンス力を持っていたし、同学年の茨は出会う前から噂が流れていたぐらいの天才児で、なんでもそつなくこなしてみせる。
 Edenのお披露目ライブを来週に控えてのEveだけのライブ。もともと夢ノ先にいた頃の日和を応援していたファンから向けられる自分への視線が、決して全て好意的なものではないと理解はしていた。だからこそ尚更、ジュンは実力で見せ付けなければならなかった。自分は、日和の隣にいるに足る人間なのだと。
 焦りは緊張に繋がる。楽屋でわかりやすくソワソワスマホを無意味に弄るジュンをじいっと見つめて、日和は読んでいた本をパタンと閉じた。
「ジュンくん、緊張してる?」
「してますよぉ。あんたは全くしてなさそうでいいですよねぇ」
「ぼくはむしろファンのみんなに会うのが楽しみなの! ジュンくんも早くこれぐらいになってくれないと困るねっ」
「どんだけ場数踏んでもあんたみたいな強メンタルにはなれませんよぉ〜。でも、本当に失敗しないようには気をつけますんで。要らぬ心配かけてすんません」
 しゅるっと日和がユニット衣装のネクタイを緩めながら、ジュンの真横にあるパイプ椅子に座る。ジュンの前にある鏡を見ると鏡に映る日和と目が合った。
「じゃあ、緊張和らげるために。ジュンくん、キスしてみる?」
「は? あんた何言って」
 と、言われた時にはもうくっついていた。
 くちびるとくちびるが。
 ジュンのと、日和のとが。
 驚愕で目を閉じる余裕なんてなかった。固まったままのジュンに、少し離してからまた角度を変えて日和は迫ってきた。ちゅ、とちいさな音がした。目を閉じている日和の色素の薄いまつ毛の色や長さをなにもできずぼうっと見つめていた。実際、魅入っていたという方が正しい。
 急に目を開かれて目があった。こころの奥底まで覗かれているような視線に、稲妻が走ったような音が胸の奥で聞こえた。思い切り目を逸らしたら逸らしたらでその先にはキスをしているジュンと日和がいた。改めて事実をまざまざと鏡から見せられ、体温が上がっていくのが判る。
 誰とでも、するのなら。
 日和のことは知らない。まだ出会って一ヶ月も経っていない。そんな相方の距離感は確かにかなり近かったけれど、ここまでとは思わなかった。誰とでもキスできるような人間なら、じゃあ別に、いいのか。興奮の前に思考回路がばかになっているのは重々承知だ。でも何より他ならぬ本人が嫌がっておらず、むしろ向こうからしてきているのだなら、何も言われる筋合いはないだろう。
 日和の後頭部にそっと手を回して、努めてやさしく掴んで引き寄せた。ジュンが行動に移ったことに少しびっくりしたようで、一瞬、肩が震えていた。けれどすぐに満足そうに双眸を緩めていて、綺麗だなこのひと、と思った。美術品に並べられてそうなうつくしさで、ジュンのような庶民がどれだけ手を伸ばしても触れることすら許されないような気高いお貴族様が、何の因果か汚れた捨て犬を拾いあろうことかキスをしている。
 チラリとまた鏡を見た。何回も繰り返しキスをするのに精一杯で気づかなかったけれど日和の両腕がジュンの背中に回っていた。頼られているみたいで、すごく嬉しくなった。
 このままもっとと思っていた矢先、パッと日和が圏内から離れていった。
「そろそろ時間だね。ステージ裏で最後の振り確認しようね!」
「え、もうそんな時間、」
「元からそれぐらいの時間だったね? 緊張のあまり気づけてなかったみたいだけど」
「あの、」
 ほぼ遮るように、声が出ていた。
「あんた、誰にでもこんなことするんです?」
 思わず、直球な質問だった。
「誰とでもしないね」
「? それってつまりどういう意味」
「ぼくに答えを求めすぎ! もっと自分で考えるようになろうね。きみはぼくの奴隷だけど、ご主人の命令をきくだけのロボットが欲しいわけじゃないね」
 日和の言い分は最もではあるのだが、この場合説明してくれたっていいのではないのか。日和はどうだか知らないが、ジュンは人生でたった一度のファーストキスだったのだから。
 不満が顔に出ていたらしく「悪い日和!」と日和は頬を膨らませながら「ほら、行くね」と楽屋から出るよう促してくる。開演時間が迫っていて、これ以上問いただせそうになかった。はい、とジュンは短く返事をしてから、ステージ裏へと向かって行った。
 日和のいう通り、ライブへの緊張がなくなっていた。でもそれは緊張をキスされた驚きが勝ったからだ。
 ライブが終わった後に「ショック療法でしょ」と訴えたら「使い方思い切り間違ってるね」と指摘され、それ以上反論できなくなってしまった。
 それ以降、ライブ前にするのは、気がついたら当たり前になってしまった。Edenで楽屋が分かれていない時は誰もいない廊下で、ステージ裏のカーテンに隠れて、舞台のセットの隠れられるところでーー。
 ジュンだけだと告げられた理由は、頭が悪いなりに必死に考えた。
 渡航経験が豊富で外国語も堪能な日和だから海外の文化に考え方が寄っているところがあるのかも知れない。外国ではあいさつでキスをするとも言うし、家で当たり前になっているのかも知らない。あいさつ、つまり習慣であればやれば緊張が和らぐというのも頷ける。
 おひいさん、紅茶とか本格的だし、紅茶と言えばイギリスだし、そういうことでしょう、と本人の前で言ったら「うん、悪い日和だね」と人形のような綺麗な微笑みで返された。間違いなく地雷を踏んだ。その後のライブではいつもよりわがまま三割り増しで、もう確信が持てるまでは口にはしないと誓ったのだった。

 どちらかと言えば頭は良くないほうだった。だから日和の問いかけも、数年経っても判らないままだった。判らないまま、なんとなくで仕事の前に楽屋で戯れるようにキスをする関係を続けているのもどうかど思うのたが、目の前に広がるご馳走を目にしてはいても経ってもいられないのだった。
 別の生き物なんじゃないかと錯覚するぐらい皮が薄くて柔らかい日和のくちびるを食み、口を開かせ、舌を口内で絡ませる。触れていない箇所なんてないんじゃないかと思うぐらいに堪能してから離すと、唾液が音もなく糸のように弧を描いていく。その一連の流れをばかみたいに毎回繰り返して、今に至っている。
 この流れはジュンによっては日常且つ習慣となっていた。筋トレと同だ。当たり前のようにある作業。ローテーション。モーニングやらナイトやらが流行っていたのと同じこと。
 だからそこに、少しもやましい気持ちはない。 
 そう、思い込んでいた。
 日和の家族が顔を隠してとは言え一緒にテレビ出演することになった。初めて仕事内容を聞かされた時はよくこのひとが許したものだと思ったのだが、実際は断ろうとしていたところをむしろ家族のほうが出演したいと日和に掛け合って、出演が決まったらしい。財団の情報筋は恐ろしいと改めて実感した。
 家族が知っているかどうかも知らないが、日和はそもそも、家族と仕事は境界線をしっかりと引いているスタンスだった。家族から営業されてほしいと言われれば当然仕事中に猛烈にアピールをするが、そうでない時、自ら家族の話はほとんどしない。
 それは日和が根底に求めているのがアイドルとファンの間にある愛の交歓にあるからだった。だからファンが喜ぶような家族の話であれば当然するが、いてもいなくてもよかった、そう努めていた巴家の話をあけすけに話したところでその全てがファンが喜べる内容ではなかった。
 そのために日和は、求められない限りはほとんど巴財団の話を持ち出さなかったし、話を振られた時も、かなりエピソードを限定して展開していた。これは最近解ったことで、日和よりずっと記憶力のないジュンでもこの家族の話聞いたことがあるなと思えるトークを聞くことが最近増えたからである。
 その日和がさっきから楽屋でずっと無言で、正直なところかなり居心地が悪い。美人の無表情は怖い。何よりいつのもわがままなお姫さまらしい気配が消え失せていて、調子が狂う。
 ふ、と。その時だった。キスしたいなと思ったのは。目の前にいるきれいなひとが、まるでご馳走のように見えるのはいつものこととして。
 目の前に自分がいるのに、ひとりでいるみたいに静かなのが、さびしくて。自分を視界に入れてくれないことに、いらついたのだ。
「おひいさん、キスしましょうか」
 殻に閉じこもっている、無表情だった日和の眉がぴくりと動いて、それこそ動物じみた動きだったかも知れないーー飛びついてそのくちびるを奪った。胸を押されて、少しの抵抗を見せられたが今回ばかりは引き下がれなかった。その意図を聡明な日和はすぐに察したようで、やがて緩慢になった二の腕を掴んで何回も何回も触れるだけのそれを繰り返していた。無我夢中で、やりすぎだと気づけたのは視界の隅に日和の二の腕に自分の指が食い込んでいるのが映ってからだった。
 パッと離して「痛かったっすか。すんません」と聞くとそうでもなかったようで「ううん、」と首を日和は首を振った。そういえばこのひと腕もぷにぷになんだった、と今更思い出した。
「緊張、とけました?」
 と揶揄うように聞いてみる。
「さっきよりはマシになったかもね。ぼくの長年に及ぶ教育のおかげだね!」
「あぁ? 何の教育ですかねぇ」
「もちろん、キスのだね。最初は嘴をつつくみたいだったのに」
「このひとマジで死んでくれねぇかな。でも、おひいさんがあの時声掛けてくれたの、なんとなく判った気がします」
「そう?」
 さびしいのと、あとジュンの場合は、よこしまな気持ちもある。日和を食べたい、こっちを振り向いてほしいという、幼くて浅ましい気持ちだ。
 日和も、あるのだろうか。この放送が終わったら、聞いてみようか。
 相変わらずのわがままなお姫さまに戻った日和に安心して、共に楽屋を後にした。
 

walatte

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