フィルムなんて要らないから|ジュンひよ
ロケで三日間、凪砂とともに不在となる日和に渡されたのは最近流行っている使い捨てのカメラだった。
こうやって撮るんだよと楽屋にいた凪砂と茨を一枚撮ってから、ここを回すんだよとダイヤルの説明を受ける。取り消しが効かないのと、撮った写真を現像するまで確認できないこと。大体の操作については理解できたが、そんなものいつも通りスマホで写真を撮って画像を送ればいいだろう。
もともと、写真は積極的に撮らない人間だった。アイドルなので必要に迫られればもちろんやるが、ユニット内では茨がプロデューサー業の一環でよく写真を撮っていて、加工もうまかった。それに任せっきりになっていて、そういえば最近全く写真を撮っていないことに、渡されてから気づいた。
この歌番組の収録を終えて、そのまま凪砂と日和は北海道のロケに飛んで行った。ぼくも撮っておくからねと去り際に言われた声はいつもより甘くとろけるような含みがあって、かあ、と耳が熱くなる。今までと何ら変わらない多忙な日々が続いているから忘れそうになるけれど、ジュンと日和は、密かにキスをしているような関係でもあった。その合間に漏れてくるどろっとした甘く鼻がかかった声を、思わず思い出してしまった。
撮れるのは二十七枚。日和が試しに撮ったので残りは二十六枚。三日で帰ってくるので一日でだいたい九枚ずつと挑んだ一日めはブラッディメアリの写真を撮ろうとしたが、なかなか動き回るのをうまく撮れず確認できないが恐らくほぼほぼブレてしまった。いきなり初日で二十枚使ってしまった。
残り六枚となった二日めは日和がいつも立ち止まって眺めている学園の中庭にある花壇だ。好きな花があるのだろう。花の名前なんてまったく知らなかったジュンも華道部の日和に毎日のように説明されて、最近は少しずつ覚えてきていた。フラッシュをたいて、シャッターボタンを押すと、パシャっと音がする。最初は巻き上げダイヤルの存在を忘れてシャッターボタンが押せないこともしばしばあったが、ようやく慣れてきた。
メアリを一枚と、嫌味もこめてひとりで作った今晩の夕飯となるサーモンのキッシュを撮って、ことりとテーブルに置いた。あとで積読していて昨日やっと読了した小説も撮っておこう。
あの人が見て喜ぶものってなんなんだろうか。
花は好き。サーモンのキッシュが好き。あとアイドルとしての素質がある子も好きだから、明日合同レッスンで会うトリックスターに写真をお願いしようか。
凪砂は、そもそもいま日和のそばにいた。
トリックスターに会って写真をお願いすると、興味を示したスバルに俺にも撮らせて〜、と半ば強奪される。これはこれで日和は好きな展開かも知れないと、ジュンは奪い返すことはせず操作方法を説明する。なるほどねとがちかちとダイヤルを回し、フラッシュをつけたスバルが向けたレンズの先は自分で、いやいや、と思わず手を否定するように振る。
「いや、オレを撮っても意味ないでしょ。おひいさんはオレに撮ってこいって命令してんですから」
「え〜? でも自撮りって方法も普通にある時代だしさ、相方が何してるかって俺だったら気にしちゃうけどな〜。あと単純に淋しい! 早く会いたくなる!」
「最後すごい脱線しちゃってるけど、僕もそう思うな。せっかくだし、一緒に撮ろうよ!」
「はあ……分かりました」
たった、三日。
でも思い返せば、ユニットを結成してから日和はほぼジュンから離れようとしなかったから、これだけの時間日和と会っていないのは、初めてだった。ロケは洞窟やら山中やら電波の通りにくい場所を中心に行うという話で、連絡が取りにくくなるとは聞いていた。実際にスマホに連絡はひとつも入っていない。
「もしかしたら、気晴らしも兼ねて渡したのかもな」
スバルの指示で北斗と真緒がとなりの、肩が触れるぐらいの距離に近づいてきて、真緒から肩に手を回される。こういうのを自然にやって、やらしくないのも、不快に思わせないのも、人徳だなとジュンは素直に甘受した。
「あの人の相手で漣の生活だいぶ埋まってそうだからさ。自分がいない間、寂しくないように〜って」
真緒の一言と同時に、ハイチーズ、とスバルの高らかな声が響く。フラッシュに思わず瞬きしてしまった。
「ただ〜いま〜!」
空気を切り裂くような大きな声でともに、日和は寮に帰ってきた。大きなキャリーバッグを当然のようにジュンに渡して、ブラッディメアリとの再会を楽しんでいる。
「ジュンくん。ちゃんと二十七枚撮れた?」
キャリーバッグから出した衣類を畳みながら頷くと、日和は満足そうに微笑んだ。
「ぼくもひとつちょうどひとつぶん撮ってきたから、明日現像に行こうね。ぼくが何を見たら喜ぶのかって考えたジュンくんのフィルム、楽しみだね!」
「……あんたを怒らせるために撮ってるものだって、あるかも知れないですよぉ〜? 自意識過剰もほどほどにしてくださいねぇ」
「あはっ。そりゃあ、自意識過剰、しちゃうよね。……だって、そんなに物欲しそうにぎらぎらさせてたら」
すうっと日和がまぶたを閉じるのに吸い寄せられるように顔を近づけた。間にあった日和の衣類を膝小僧で踏んでしまい、あとで怒られるかも知れないと頭の隅で思う。
あんたのフィルム、どうせ自分しか写ってないんでしょう。ナギ先輩はきっと写ってない。それは幼稚に嫉妬するオレを、安心させるためのものだから。
キスをしながらでは口にできない言葉は、ちゅく、と混ざりはじめた唾液の水音の奥に、消えていく。伝わるはずのない秘めた言葉の代わりに、口づけは甘く深くなっていった。
0コメント