越境のない隣人|ジュンひよ

 日和がジュンにフレンチのテーブルマナーを徹底して教えると宣言したのは三日前、日和と茨で行く予定だった食事会に茨が会社の仕事で行けなくなり、たまたまスケジュールが空いていたジュンが代理で参加した帰りのことだった。フレンチのコースで当然テーブルマナーを知らないジュンは最初から最後までぎこちないようすだったが、もとから育ちを知られているジュンにたいして取引先の男性二人は最後まで気にしないでと笑顔で接してくれていた。それでもジュンは終始緊張してしまい、途中でパンを落としたあたりからはもう、せっかくのフレンチの味も楽しむことができなくなっていた。
 日和の宣言はもっともだ。けれど一般庶民でありまだ十七歳でもあるジュンが、フレンチに触れる機会なんてそうそうない。財団の次男坊である日和や、付き合いのために覚えた茨や、巴家にいる時期に覚えたらしい凪砂とは違う。ユニットでは覚えていないたったひとりなわけだが、日本人の全体的な視点で考えれば間違いなくジュンの方がふつうなのだ。生まれも育ちもふつうとは縁遠かったから固執しているわけではないが、一方的に日和にだめだめだね、と怒られて、すこしばかり理不尽ではないかと思ってしまうのだ。もちろん日和には言い訳と一蹴されたわけだけど。
 報告を受けた茨はげらげらと笑いながら今度の番組でフレンチに行く企画立てますねと口元をきれいにつりあげながらどこかに連絡しているし、日和はそれでますますやる気になってしまったようだった。
 放課後、誰もいなくなった教室を貸し切って机と椅子でマナー講座を開く。きみは絶対体で覚えた方が早いからねという日和の指摘通り、さすがに三日続けたやれば体に染みついてくる。
 日和がどこからか調達してきたコースメニューをもとに、実際にあるものとして日和がいくつか出すシチュエーションに実際に答えていく。
「……うん、ちゃんと外側からカトラリーをとれているね。さすがにこれは覚えられたね」
「食事休みのサインはどうするのかな?」
「はい、どうしても席を立たなくちゃいけない時は?」
 そっと立ち上がりナプキンを椅子の上に置く。日和がふっと双眸を緩める角度で、及第点を超えた対応ができたのだと判った。
「うん、及第点だね。これなら茨が立てた企画でもなんとかなるかな。まぁきみはできなくてもファンがかわいいって評価するだけだから、本気で習得する必要もなさそうだけれど」
「いや、でも、教えてもらったんだからできねぇと駄目っしょ」
 日和は目をまあるくした。それからふふ、と笑う。別に笑うところではないだろうと眉を顰めれば、気づいたのか空気を引き締めるようにいちど手を叩く。ぱぁんと短い音が室内で響いた。
「それはもちろん。できないとファンが許してもぼくは許さないね。なんたってこのぼくの時間を割いているわけだからねっ」
「はいはい、判ってますよぉ〜。……でもおひいさんだってこないだ、マナー違反してたっしょ?」
「え〜? きみと違ってぼくはしていないね。それ何か勘違いしてない?」
「オレが落としたパンを持って、……キス、してたでしょ」
 その表現で合っているのか分からず、躊躇いがちに口にすると逆に強調しているかのようにゆっくり響いてしまった。でも、口元にパンで触れるあれは、キス以外にうまく表現できる言葉が思いつかなった。
「ああ。あれは、また別の国のマナーだね」
「そうなんです? いいんすか、フレンチなのに」
「シェフが丹精込めて作った食事を落としてしまったのだから、気持ちを表するのに国境なんて要らないんじゃない?」
 貴族に凝り固まった考え方のように見えて、多様性も弁えている。ジュンがまだまだ届かなくて悔しくて、でも尊敬している──巴日和の好きなところのひとつだった。
「……気持ち、」
「そう。きみもフレンチは食する機会がなかったからしょうがないのかも知られないけど、箸の持ち方はちゃあんとしてるね。親御さん、厳しく教えてくれたんじゃない?」
 たしかに、ジュンがいつか仕事で食事する機会があるだろうからと箸の持ち方は何度も矯正されたのを覚えている。なかなか正しい持ち方を維持できなくて父親に叱られて泣いたいたような記憶がぼんやりとある。
「ぼくはきみの箸の持ち方を見て、割と安心したんだけどね。親御さんで躾けられる範囲は、躾けられているって」
「そう……っすか」
 日和にはあまり親の話をされないので、急に触れられるとなんだかむず痒い。何せこのあいだのライブで陣に勝利し、両親とのわだかまりを解消するきっかけを与えられたばかりだった。
「けど! ぼくといたいなら貴族の嗜みを覚えないとね。これはまだまだ序の口だからね、ジュンくん」
「……一緒にいたいいたくないの話じゃねぇでしょう? オレたちは一心同体なんすから」
「あは。ジュンくんのその返しもなんだか板についてきたね。うんうん、いい日和!」

walatte

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