ちいさな独占欲|ジュンひよ

 一心同体だと、ずっと呪文みたいに唱え続けたきたせいだ、と思う。数日会えないだけで、こんなにも違和感があるのは。
 高校を卒業した日和は、大学でスケジュールの都合がつきやすくなり長期のロケにもしばしば行くようになった。
 二枚看板である片割れの凪砂とも最近は一緒の仕事がよく入る。ふたりに比べればジュンはまだまだ実力も知名度も低いので、仕事量でどうしても日和のほうが多忙になるのは、大学生と高校生という基盤の違いからしても仕方なかった。
 その分空いた時間はレッスンに使って、相方を驚かせられるぐらい成長すればいい。這い上がるために手段を選ばない、そのためならプライドなんて捨ててしまえる──そんなプライドを日和に褒められたのは、出会って間もないころだった気がする。
 いきなり寮で同居生活をする、というのは、アイドルにはありがちな流れだけれど、それまでは長期に続くようなユニットに所属したことがなかったジュンには新鮮だった。その生活が当たり前になるまでは、思いのほかすぐだったし、正反対とも言える環境で育ってきた日和とのやりとりも、すぐに馴染んでしまった。
 そんなだったから、いなくなった生活にも、割とすぐ馴染めるものだと思っていた。
 寮から出て行った部屋には、新しいのに買い換えるからの日和の私物が大量に置かれたままで、いまだに日和が帰ってくるような錯覚を起こさせる。持ち主がいなくなったマグカップやアロマたちは、いなくなったはずの日和の存在をより濃くしていた。
「片腕を失ったみたいな感覚になりません?」
「なりませんねえ」
 ダンスレッスンの休憩中に、同じように愛方である凪砂と生活でのすれ違いが増えたであろう茨に尋ねてみるものの、一蹴されるだけだった。聞いた相手を間違えたことに、茨の素っ気無い返事で気づいた。聞くなら、連絡をとりあっている真や、アーカイブスで定期的に会っている卒業した先輩のいる忍がよかったかも知れない。
「それにねえ、ジュン。失ったこともないのに片腕って、フィーリングだらけの表現どうなんです? もっとわかりやすい表現があるでしょう?」
「え? あるんすか?」
「うーん! 聞いた自分が馬鹿でしたな! なんでもありませんっ、ほら練習を再開しますよ〜!」
「あ、ちょっと茨……!」
 さすがに気づく露骨な話題逸らしも、途中までには終わったら言及するつもりでいたのに、ダンスレッスンが終わるころにはすっかり頭の外に追いやられてしまっていた。
 たまに合鍵を預けてもらうことがある。気まぐれで、メアリの世話を任されることあれば、それはペットシッターに予め依頼していて、本当に好きに入れば、という意味で渡される。
 他人……ではないのだけど、完全に日和ひとりが住むための空間になっているそこに入るのことに、あまり足が進まなかった。日和が完全に新しい暮らしに染まっているのを見せつけられるようで、自分ひとり、置いていかれてしまったようで。
 ただ、メアリのことは気になっていたから、日和が帰ってくる日にジュンはひっそりと日和の部屋を訪れた。芸能人が多く住んでいるらしい新築のマンションは外装も内装も綺麗でワックスのにおいがうっすらと漂っており、ジュンはどこか落ち着けない。
 メアリはペットシッターにも懐いたと聞いていたが、訪れてみれば元気で特にストレスもないようだった。少し前にペットシッターが来ていたようで、餌をやる必要もないし、遊んでもらってもいるようでうとうとと眠そうにしていた。
 手持ち無沙汰になってしまったジュンは、気を紛らすように冷蔵庫を開けた。水のペットボトルが数本と、ドレッシングが入っているだけの無駄に大きくて空洞だらけの冷蔵庫はよりひ冷たい空気が漂わせている。こんな空っぽじゃ、使われている意味を失ってすぐに壊れちまいそうだなあなんて考えながら、ジュンは持ってきたいくつかの野菜を入れた。
 簡単なものを作って置いておけば、今日の夕食か明日の日和の昼食にはなるだろうと、ミネストローネを作り、炊飯器の時間をセットしてから、洗濯機を回したのは覚えている。意外とだらしない日和が溜め込んでいた衣類をすべて詰め込んで、電源を入れれば、乾燥機のついている洗濯機が次になるのはあとは畳むだけの状態だ。
 洗濯物から漂ってくるジュンとは違う、けど親しみのある日和のにおいに安心して、ソファのうえでちょっと休憩しようと腰掛けると、とろりと眠気が降ってくる。ここ数日、無理やり詰めてもらったダンスレッスンにソロでの仕事にと、ジュンには精神的にも体力的ににも休む時間がなかった。視界が閉じていくのに抗えない。視界の片隅で、おもちゃで遊んでいるメアリを捉えたところで意識は途絶えた。
 この幸せを手放したくない。そう思っているからこそ、水みたいに溢れてすぐ無くなってしまうんじゃないかといつもどこか恐怖が付き纏う。
 なんでもない数日のロケだ。なのに、帰ってこなかったらどうしようと脳裏によぎるくだらない考え。日和が、それこそ理由は知らないけれど昔旧fineを去ったときのように、どこかにそのまま、知らないところへ旅立ってしまう気がしてしまって。
「ジュンくん」
 聴き慣れたはずの声も、数日会えないだけで懐かしくなる。それだけ、密度の濃い時間の共有をしていた。なんなら夫婦漫才だとか世間には称されるぐらい、一緒にいて、身になるかもわからない談笑をしていたものだから。
 会いたいと思うのと同じぐらい触れたい感情が湧き立っていた。やり場のない燻りはずっとジュンのなかで大きくなって、ほら、まぼろしにさえ手を伸ばそうとしてしまう。
 ソファに寝ていた自分を覗き込んでくるまぼろしを、いつもされるみたいに両手で頬を掴んで引き寄せた。こんな強引なやりかた、夢でなければ許されない。
「──ちょっと、ジュンくん……! 帰ってきたばかりで汚いから……あっ」
 何か言いかけたくちびるを強引に奪って、下顎をぺろりと舐め上げた。それが何の合図が分かっている日和は躊躇いがちにちいさな口を開く。覗き込んだ先に光る唾液にひかれるように舌を滑り込ませた。
「ン………や、あ……ふぅ」
 やわらかな舌の感触と温度はまぼろしでも知っているいつものそれで安心する。上顎を舐め上げ、歯列をなぞればわかりやすくびくびくと震え出したからだが胸を押してくるちからは弱くて拙い。反抗するみたいに起き上がってきつく抱きしめて片口に頭を埋めると、ふわりと彼の匂いが広がった。
「おひいさん……」
 大人しいまぼろしに調子に乗っている自覚はある。耳元でいつもの呼び名で囁けば、目の前で産毛が逆立ち真っ赤になっていく。
「いつもと違って、オレに翻弄されてるおひいさんを見るのも悪くないですねぇ〜……」
 なんてそっと耳朶に触れたら林檎のような赤みに比べてずっと冷たい。まるでつい先ほどまで外気に晒されてたような。……外気、に。
 恐る恐る真正面で彼を捉えてみる。散々嬲られてつるりと唾液で光るくちびると、濡れているすみれ色のひとみ。つよく睨みつけられても、あまり迫力はない。それぐらい色濃く、乱れた気配を纏わせていた。そうさせたのは、他でもない自分だった。
「……本物のおひいさんで合ってます?」
「こんなに眩しくて美しい存在の偽者なんて作れるわけないね! 失礼だね」
「あ、あー……。そう、そうっすねぇ……。あの、」
「寝惚けてやりました! ごめんなさい! なんて言い訳許すわけないよね?」
 それはそうだ。実際やられたほうには関係のないことだろう。
 相手の嫌がることだけはしたくなくて、日和と行為に及ぶ時は何をするにも了承を得ていた。日和が特別嫌がることはなかったが、けれど伺いも立てずに、胸を押すサインもあったのに引き下がらなかったのはどう考えても強引すぎた。
「は、はい。……嫌な思いをさせてすんません」
「誰もそんなこと言ってないね」
「は? どういう意味っすか?」
「それがきみのしたいことならぼくはべつに構わないね? 続きをしてもいいって言ってるね」
 するりと熱を持った手が無意識に日和のインナーのしたを探る。一度恥じらうように日和は目を瞑ったが、また目を開いて、いいよ、と笑みを浮かべている。
「……あんたがらいない間、不思議な感覚でしたよぉ〜。片腕がなくなったみたいで、心許なくて」
「……ジュンくん、それは。他に適切な言葉があるんじゃない?」
「あんた茨と同じこと言うんすね」
「毒蛇と? それは悪い日和!」
 口を尖らせる日和は、涙も乾いていつもの覇気を取り戻しつつある。それがなんだか悔しくて、腰や腹に触れていた手を胸元へと持って行こうとすると、だめでしょ、と制止の声がぴしゃりと室内に響いた。
「まぁ、いっか。それはいずれジュンくんが自分で見つければいいね。ずいぶんとお盛んなようだけれど、その前に言わなきゃいけない言葉があるね! ジュンくん?」
「はいはい、判ってますよぉ〜。……おかえりなさい。おひいさん」
「うんうんっ、ちゃあんと判ってるね。いい日和!」
 その言葉が了承の合図だと理解したジュンは、日和の奥へと手を伸ばす。日和は待っていたようにからだをしならせて、ジュンを受け入れた。そうして触れ合ってからだの感覚が、片腕が、戻ったと感じて、ジュンはようやく胸のつかえがとれたと思えた。

walatte

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