春味の紅茶|ジュンひよ
Eveとして初めてのお披露目ライブの一週間前からずっと、練習のあと、必ず日和はお茶の時間を設けた。
「さぁジュンくん! 紅茶をいれてね。茶葉はキーマンで」
「今日のジュンくんは動きが固くて悪い日和! ほら、ニルギリでお願いするね!」
「明日はいよいよ本番だねっ。今日はウバにしようかな?」
好き放題注文して、いれるのが下手だと何度も文句を言いながらも出した分は飲み干すあたりよく分からない人だなと思った。
日和は味の特徴や生産地まで細かく説明しながら自分にも飲ませた。紅茶なんてスーパーで売ってあるティーパックのしか飲んだことがなかったので、味の違いはいまいちわからなかったけれど、おいしくて、何よりその夜はぐっすり眠れて、結果お披露目ライブは大成功を収めたのだった。
コズミックプロダクションの給湯室に置く茶葉を一緒に買いに行ってほしいと茨に頼まれたのは、ESができて、ジュンが三年生になってすぐのことだった。
来客用と事務所のメンバーのために珈琲はある程度いいものを揃えたけれど、紅茶もいくつか揃えておきたいと日和を誘ったが、はっきり断られたらしい。海外にいる宗が数日ほど帰国して事務所を訪れる予定なのだが彼も紅茶には厳しい。一刻を争うから、殿下とよく行くお店に連れて行ってくれません、と珍しく切実そうにお願いされて──今となって思えばただの演技だったようにも思えるのだが──快諾してしまった。
「ダージリン、アッサム……とりあえず王道は揃えておきましょうか。ジュン、何かオススメありますか」
有名な紅茶専門店に訪れて、二人で茶葉を見ながら唸る。明らかに周りにはバレてはいるが、日和が隠れないのもあって視線にはだいぶ慣れて、もう気にならなくなってしまった。
「んー、ニルギリとかっすかねぇ。割と甘くて飲みやすいし、事務所のアイドルにもウケがよさそうです」
「へえ、ジュンきちんと茶葉の名前把握してるんですねぇ」
「いれると必ずおひいさんから説明があるんすよ。どこの国で、どんな味で、どんな歴史があるだとか。飲むのに必要かな〜って最初は疑問でしたけど、そういうの最近は楽しいっすね」
「ええ。そういった教養は必要最低限生活するのには必要ありませんけど、人生を豊かにするのには必要です。いい影響を受けているようで結構! 他はどうです?」
「ウバ、キーマンとかどうです? ライブ近くなったらよく飲んでるんすけど、結構調子よくなれる気がします」
「ああ、そりゃあそうでしょう。だってそれ全部、リラックス効果あると言われてますから」
「え? いやおひいさんそんなこと言ってませんでしたけど」
「調べたら出てくるでしょう。ジュン、目に見えてガチガチだったのでは? 最近はだいぶ慣れてきてますけど」
そりゃあ、最初とライブなんて二週間前ぐらいからなかなか寝付けなかったし寝不足だったしそれを日和から直接指摘されていたりもした。
でも、だったらそう言ってくれればよかったのに。日和は持ち前の記憶力ですらすらと茶葉の詳細を教えてくれたけれど、リラックスできるなんて一言も言わなかった。
「言わないでしょう、わざわざ」
はっきりと疑問が浮かばせた顔を見て、茨は事実を指摘する。
「ジュンの場合リラックス効果あるって告げたら余計力入っちゃいそうですし」
「う……まぁ、それは否定できないっすけど」
「でしょう。で、どうします? 買っておきます?」
正方形の艶が光る缶を見つめて、ジュンは逡巡した。そして。
明日は久しぶりにLilithで集まって会談がある。
一時的なユニットだったが、話題性が高いライブで勝利したのもあって、たまに集まって近況を話す機会がある。その時は誠矢のネームバリューでテレビや雑誌やらで何かしら特集が組まれる。今度は生放送だった。誠矢とはしばらく会っていなかったから楽しく会話ができるか、向こうの思惑に乗せられないかと懸念材料ばかりが頭を過ぎる。少しばかり緊張しているのかも知れない。
ソロでの仕事を終えて、茨の手配した車で寮に帰宅している途中でジュンからメッセージが入っていた。寮の食堂にいますんで、と短く。玲明学園までは決して近くはない寮にジュンがいるなんて珍しいと思いながら、日和は了承のメッセージを送った。
寮に入ると紅茶のかおりが鼻腔をくすぐった。テーブルには日和が好きなブランドのティーカップにいれてある紅茶と、最近よく買っているとよく話していたスコーンが皿にのせてある。
「ちょうどよかったですね」
「ジュンくん……これ、ニルギリ?」
「ああ、やっぱりあんたわかるんすね。そっすよ。明日氷鷹先生いますし、ちょっと好きなもの食べて飲んで力抜くのもいいかなって」
ぱちくりと瞬きする。ついこないだまでダージリンやアッサムの違いも分からなかったような子が。緊張しているかも知れない自分を慮ってあれこれ用意してくれている。
スプーンや砂糖の置き場所が適当だしアフタヌーンティーにしては庶民めいてはいるけれど、これはこれで悪くないと思える。
だってぼくのことで一生懸命なきみがかわいいから。
「……ふうん。ジュンくんにしては、粋な計らいだね。うんっ、いい日和!」
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