(あなたとの)食卓が楽園|ジュンひよ

 玲明学園での寮生活のころ、茨の謀略により貶めたもしかしたら仲良くなれたかもしれない子たちに嫌われるたび泣いていた。
 ジュンくんは始めはひとつ年上の先輩でリーダーであるぼくがわんわん泣くことにたいそう動揺していて、あんたに拾われて感謝してますから、大丈夫ですから、なんて柄じゃない優しい言葉をたくさんかけてくれた。今ではすっかり笑い話になっているけれど、あの不器用な優しさは、覚えていられてよかったと思える記憶のひとつだ。
 慣れてからは餌付けのように、彼の調理する晩ご飯がぼく好みのものになった。キッシュやパイ、あとは食後の紅茶、タルト……。味付けは元からぼくがさんざん指摘していたから腕前もだいぶあがっていて、とは言えとうぜん実家の専属シェフに比べればぜんぜんなのだけれど、それはそれでぼくは気に入っていた。

 あっという間だった一年が過ぎ、ジュンくんとの寮生活は終わり、新しいメンバーとの生活にが始まった。
 ぼくにとっても家族以外の誰かとふたりきりで同居するというのはジュンくんが初めてだった。だから態度には決して出さなかったが、わずかな緊張が始めのころにはあった。それは杞憂で終わったけれど、次もうまくいくのだろうか。なんなら個室をとらせてもと思っていたけれど、人間とは順応するもので新しい環境の生活にも慣れてしまった。
 今日も今日とて、茨の上昇志向は留まることなく、貶めた相手に悪態をつかれた。しかもぼく一人の現場を狙って、だ。よほど根に持っていたのだろう。
 正直、他人を恨んだりする時間があるのなら、おのれを上昇させるよう努めるほうがよっぽど有意義だと思う。誰かを恨んだことなんてないぼくだからこその思考なのだろう。ジュンくんは出会ったころ、ぼくが指摘したうまく隠せる場所に作られた傷痕──同級生から妬まれつけられたらしい──についてこう言っていた。捌け口が必要なのだと。誰かを憎んだり恨んだり、悲しんだり果てには泣いたり。苦しい感情には、それを受け止める器がないといけないと。
 一方的に暴言を浴びせて去っていった彼らに、そんな一年ほど前の記憶を回想しながら、ぼくは冷静に茨に報告おくべきかなとスマートフォンでメッセージを送ったら。
『きみのこないだ貶めた子たち、わざわざ文句を言いにきたよ』
『本来ならそれは自分が受けるべき業です。殿下、申し訳ありません。殿下のそばに誰か手配しましょうか。もちろん腕利きの、自分が信頼してる者を選定します』
『なぁに、ぼくたち戦争でもしてるの?』
『平和を望むなら戦争に備えよ、と言いますから』
『大丈夫だね。今日はたまたまで、いつも仕事はジュンくんときみたちとだし』
 また返信がきたのが通知で見えたけれど、迎えの車に乗り込んむところだったのでここで切り上げてしまうことにした。そもそも茨が何を言おうと、意見を変えるつもりはなかった。ぼく自身が本当に信頼できる者しか、そばには置きたくない。そう、ジュンくんしか。
 寮にある食堂で食事を終えて、凪砂くんを呼び出して周辺を散歩した。そのままお風呂を済ませて帰ったら多忙らしいメンバーは誰もおらず、ひとりきりの部屋で眠りに落ちた。捌け口が必要なのだと、諦観に染まったひとみが語った言葉が、耳の奥でいつまでも木霊していた。
 朝起きると、凪砂くんからメッセージがきていた。起きたら寮のキッチンに来て、と。時刻はすでに九時を回っていた。
 今日は夕方までオフで、予定は入れずのんびり過ごすつもりだったから凪砂くんの誘いはちょうどよかった。
 足早に向かうと、テーブルに座って紅茶を飲んでいる凪砂くんと、キッチンのほうに見慣れない姿があった。ジュンくんだ。バターの香ばしいにおいが、ジュンくんがひっくり返しているフライパンから漂っている。
「おはようございます、おひいさん。なんですかぁ〜、そのしけたツラ」
「おはようジュンくん! ツラって言葉遣いをまず直そうねっ」
「へぇ、否定はしないんすね。ちょっと待っててください……。はい、どうぞ」
 慣れた手つきでスクランブルエッグを更に盛ったジュンくんははい、とそれをぼくに渡した。
「どうぞ、食べてください。朝ごはんです。紅茶もちょうど、できあがるころなんで」
 その声と同時に、トーストスチーマーがチン、と音を立てた。
 凪砂くんを隣、そしてジュンくんを向かいにして座ったぼくは、こんがり色をつけた食パンに我儘すぎるぐらいたっぷりとバターを塗りたくるジュンくんの楽しそうな姿を眺めていた。ジュンくんが機嫌がいい理由は、もうわかりきっている。……ほうら、バターの横に置いてあったジュンくんお気に入りのイチゴのジャム。その瓶を開けて、スプーンでたくさん救ったあと、バターが染み込んだ食パンに絵具をぶちまけるみたいに押し付けた。丁寧に全体に馴染ませるあいだも、イチゴとバターのにおいが漂い食欲を唆る。昨日の夜はあんまり食べていなかったから、お腹はかなり空いていた。
「はい、どうぞ」
 先ほど煎れてもらった紅茶、できたてのスクランブルエッグにソーセージ。そして焼きたての食パン。メニュー自体はありきたりだけれど、久しいジュンくんの手作り感溢れる食卓。
「いただきます」
 それらからは、ぼくの家のシェフとはまた違う、とても暖かい味がした。
「言ったでしょう? 捌け口が必要なんだって」
 食器を洗うジュンくんを向かいから頬杖をついて眺めながら「茨から聞いたの?」と問うたぼくにジュンくんはそう答えた。回答はイエスの言うことだろう。
「同室の人たちから、あんたが泣いてるの見たことないって聞いたことあったし、茨から殿下が凹んでるかもですよって変な連絡はくるし……。だから、捌け口用意したんすよ」
「ぼくの好きなもので朝食?」
「そうっす」
「イチゴのジャムだけは、きみの好きなものだけどね!」
「おいしそうに頬張ってたくせに何言ってんすか」
「あのジャムは美味しいから仕方ないよねっ。……でも、意外だね。ちょっと前までは捌け口なんでって、傷つけられることが当たり前みたいに話してたのに」
「あんたでしょうが」
「何が?」
「誰かを傷つけたり、泣いたりしなくても、ご飯食べたり、花を生けたり、誰かと話したり──そんな些細なことで、苦しいことが昇華できるんだって教えてくれたのは。記憶力いいくせに忘れたんですか? このアホ貴族」
 ……たまにちょっと怖かったりする。
 この少しだけ遅く生まれてきた後輩の成長する速さが。もちろん嬉しいのだけれど、けれどやっぱり少しだけ早く生まれた分、先輩らしく見栄をはっていたいから。
「忘れたりなんかしないね! いつでも覚えてる。だからぼくに感謝して、恩を返してね。例えば今日のランチから!」
「はいはい、何がいいんすか。キッシュ?」
「うんうんっ。冷蔵庫にそれらしい仕込みを見つけたね! あれをお願いするねっ」
 朝早くから学園を出て有名な食パンのあるパン屋に並んでキッチンで仕込みをしていたジュンくんを想像するだけで、昨日の暴言は忘れられなくても辛いものではなくなる。仕込みがバレていたのに動揺するジュンくんに自然と口元を緩めながら、前髪の寝癖に手を伸ばした。

walatte

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