(Still,)九十九等星を乗せて|ジュンひよ
うつらうつらと首がしばしば傾いてははっとなって起き上がり、必死に起きようとしている助手席のジュンを、日和は視界の隅に捉えてくすりと微笑んだ。
卒業してすぐ仕事と両立させながら取得した運転免許を、まだ玲明学園の寮で生活しており知らなかったジュンは、ロケに自車で訪れた日和に思い切り眉を顰めていつの間にとってたんすか、と問うた。春ぐらいかなあととぼけるように答えればますます眉間にしわが寄る。機嫌を悪くさせてしまった。
「……茨に車は手配させりゃいいでしょう」
「うん。そうだね、Edenとしての仕事はね」
「他に使う理由が?」
「実家では、ぼくは次男だからね。さすがに兄上に運転をさせるわけにはいかないから」
ジュンはそれきり黙ってしまった。
斜陽からようやく脱却しつつある巴財団も、何もかもを召使いを使ってやりくりしているわけではない。プライベートのために、家族だけで出かけたり食事をしたりすることもある。そういう時のために足は必要だった。特に兄はこのごろ事業が右肩上がりなせいか突然必要以上に近づいてくるようになった人間たちに不信感を抱いており、日和はよく個人的に呼び出されては愚痴に付き合わされていた。
「帰り、送ってあげようか」
ジュンはいつもの気怠そうな表示でいつもの悪態をつく。明日雨が降るんじゃねぇですか、と。
言わなかったから、じゃなくて、全く気づかなかったから、なんだろうな。
ジュンが怒ってる理由について、ウインカーを出しながら日和は思考を巡らせる。そもそも今日わざわざ車を出してきたのは、ロケで帰りが遅くなりそうだったからで。ジュンは学園から直行、日和は別の現場からの現地集合で、公共の手段を用いるには、その場所はいささか不便な場所だった。電車だと長時間の徒歩を強いられるような、いわゆる田舎だったのだ。
茨は最近AdamとEveを対立させようとしているような不穏な動きをしているので依頼したくなかった。それになんだかんだで、運転するのも嫌いではなかった。自分のペースで自由に行き来できる、どこにでも行ける目新しい感覚にすこし浮き足立っているのだろう。自覚はしている。
「ん……おひいさん、」
半開きの瞳で微睡むジュンは変わらず寝かけては起きてを繰り返している。寝てもいいよと声をかけてもいいのだけれど、ますます寝ないよう気を遣ってきそうで、このまま自然と眠りに落ちてくれればいいのだけれど。
アイドルに特化しているとは言っても学業の芸能活動の両立が大変なのは去年で日和はよく痛感していた。高校を卒業してひとりでの仕事も増えてきているが、高校生活でこの量をこなせるとは到底思えない。だからEdenが軌道にのって仕事量が激増している今だからこそ、相方の体調管理をするのはリーダーとしての責だと感じていた。
ナビは玲明学園の寮への到着予定を早くとも日付が変わるすこし前と見積もっており、けれどジュンには朝から学園に登校しなければならない。身体的な負担は少なからずあるだろう。
「……あと、どれぐらいで着きます……?」
「一時間ぐらいだね」
「……あんた、一時間以上、運転しっぱなしでしょうが……。一回、休みましょ」
実を言うともう二時間以上経っているのだけれど。まぁいいか。黙っておくことにする。
「じゃあ、すこしだけ。次のパーキングエリアで休もうか」
平日の夜中だけあって、ひとは疎らだった。結局パーキングエリアに到着してもジュンは半分起きているようで、とろけた目でシートベルトを外そうとしない日和をじいっと凝視してかる。ほんの少しだけ休めればよかったのだが、そう思いながらも日和はシートベルトを外した。
「お手洗いに行ってくるね。ジュンくんはお留守番してて」
「うい〜っす……」
鍵を持って外に出る。車は外からは中が見えないよう、ブラインドの窓を使っているのである声をかけられることもないだろう。
山の中にある高速のパーキングエリアは、山の輪郭と星空以外は何も見えなかった。お手洗いを済ませて車へと歩いている途中で見上げた星空は都会のそれよりずっと、たくさん輝いているのがわかる。
暗闇が濃いければ濃いほど、眩しいものはより輝いて見えるものだ。
真っ先に浮かんだのは、夜釣りの番組に出た時に、真っ暗ななかスマートフォンの光で照らした釣りを無邪気に楽しんでいるジュンの笑顔だ。そんなに何か劇的なことがあったのではなく、むしろ日和は人生で釣りなんてしたことがなかったし更には夜だったのでことあるごとにスタッフに文句を言っていたぐらいだった。
でもあの時に、幼少のころは悲惨な思い出しかないと語るジュンにも、釣りを体験して楽しんだ思い出がひとつはあったのだと知ってしまったから。その笑顔が輝いていて眩しくて、それを引き出せるような生活の一部になれていることが貴族としてもEveのリーダーとしても誇りに思えたのだ。
なるだけ音がしないようにそっと車内に戻ったつもりだったが、ジュンはゆっくりと瞼を開いた。ゆっくりと左右きょろきょろと周りを眺めてから日和を見つけて、あ、おひいさん、と落とし物を見つけた子どもみたいな、安堵の表情を見せたかと思えば、運転席に座った日和をぐいと引っ張って日和にじぶんのそれで口づけた。ジュンがめったにしない不意打ちに、日和の反応が遅れた。
「……よかった。あんた、もう戻ってこないのかと……昔の連中のところに戻ったのかと思いましたよ」
英智やつむぎを指しているのだろう。彼らとの出来事はおおよそだがジュンには伝えている。
満足したらしいジュンはあっさりと日和を放した。夢うつつで、まだこれが現実だと理解できていないようだった。見ているとまたすぐにでも眠りに落ちてしまいそうなジュンをそのままにして、ギアを握った。
「……夢を、見ました」
するとぽつりとジュンが呟いた。焦点はいまだ定まらず、まどろみのなかを漂っている。
「夢? どんな?」
「オレが免許とって、あんたを助手席に乗せて……さぁどこでも行けますよ、なんなら逃げれますよ、って言うんすけど」
「うん」
「でも……あんたさぁ、ここでいいって言うんですよ。はは、オレの夢のなかのおひいさんもめちゃくちゃおひいさんですよねぇ」
「……ふうん。きみにはそう思えたの?」
「だってあんた、我儘は言うけど逃げない……し、……」
ぐらりと頭が倒れて窓にこつんとあたる。規則的な寝息が聞こえてきて、完全に眠りに落ちたのだと分かった。
「きみっては意外と、ぼくのこと知ってるよね」
ギアを入れると、車が発進する。ゆっくりと、速度をあげていった。
それでも、きっと。凪沙くんのようにはなれないのだろう。
でもそれでいい。ぼくが求めているのは凪沙くんでも、もうひとりのぼくでもなくて、絶対にぼくに逆らえない他人なのだから。
ジュンくん、合ってるよ。ぼくは何年後になってもきっと、きみにそう答えるだろうね。
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